帯広美術館にお邪魔してきました。
まず行くまでの雪!雪!公園入口から10分以上は歩かないと到着しません。
あたり一面雪。
雪が音を吸収するから
今まで聞いたことのないような”無音”
不思議な感覚になります。
これが噂の”無音のサウンド”ってやつなんだなと感激しました。
音のない澄んだ空間というものにとても感動しました。
しかもその中で歩くと足音一つ一つのサクサクって音の違いも明快で、
普段気づけないいろいろな音のバリエーションを楽しめます。
この時だけはイヤホンを外して音楽をかけるのをやめました。
今この環境が音楽でした。
さてそんなこんなで帯広美術館(雪で道が消えて)にしにものぐるいで到着。
『居串佳一とオホーツクの画家たち』ということで
ちょうど郷土色の濃い芸術を見てみたいと思っていた私にはとてもラッキーな展示!
(1)北海道への想いが強い画家!
北海道で育ったこそ北海道のアイデンティティがある絵を描きたい!という強い思い。
だからこそほかの表現にはない『辛辣なものに耐える人の精神力の美しさ』を北海道の絵画には感じます(ロシア絵画に似ている気がする)
また切り取る部分が巧みですね。
『海に生く』居串佳一
タイトルもそうですが、自分の伝えたいテーマに対して切り取る場面が巧みだなと感じながら見ていました。
(2)本当に良い芸術(絵)は歌っている!
松樹路人の 『北国の大地に(ポプラ並木)』
長谷川誠 『崩れ』『モスク』
が、久々に純粋に美術と対話して、美術に感動しました。
「あー絵が歌ってるな」と思いました。
筆が躍っているというのでしょうか。
何を描きたいか、見ているだけで思いが傾れ込んでくるようでした。
むしろ北海道作家の絵だから”雪崩れ込ん”できたのかもですね。
美術は『目で見る言語』なんだと改めて感じました。
(3)そんな美術に出会って改めて思ったこと。
美術に触れると、目で見ることで何かを学び言語が勝手に増えることがある。
また、わからない芸術でも、解説を読んで”そういうことか”と分かり、意図しなければ得られなかった言語が増えることもある。
とにかく違う切り口からいい出会いが詰まっているのが、絵、美術館なんだよなと改めて思った。
美術館の定義も、こうして言葉を積み重ねるように、自分で一つ一つ作っていくんだなとも感じました。(前は勝手に歴史的お勧め絵画を押し付けられる場所くらいに思ってた、美術館が勧めるものは有無を言わせず正しいんだぐらいに)
カメラも昔はただ記録としてとっていただけなのに、気づいたら今は芸術表現の一つとして使われている。
時代に合わせて自分の定義が常に生まれ続けているんでしょうね。
さて、少し別件ですが、
手島圭三郎 『しろふくろうの山』『ふくろうの木 』
こちらはデザインが巧みで、久々にデザインから感動しました。
こんな風にふくろうを描けたら幸せな人生だろうな。
帯広美術館には素敵なカフェもあってみなさんやさしく楽しく談笑しながらお茶しました。ここのお菓子は障害施設の方が作ってくれているお菓子なんですよ。
モカドールというこの美術館限定のお菓子があり、モカの記事に中にリンゴの餡が入っていてほろほろと口の中でいろいろな触感が転がる感じはとてもやさしくおいしかったです!(お茶の写真がうまく残っていなかったのが残念)
(しかもいろいろな美術雑誌を読みながら過ごせる喫茶店)