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☕カフェの文化史と概念☕

このページでは

一般的なカフェ史から、
本から学ぶパリの詳細なカフェブームの流れ、
そして日本のカフェブームはどのように起きたのか
とまとめ、カフェの文化史をたどりたいと思います。


☕一般的なカフェ史とは☕

・9世紀 
エチオピア南西部のカファ地方(Kaffa) カルディ、コーヒー発見
※コーヒーとカフェの語源は「カファ Kaffa」という地名に由来する説が知られています。
・14世紀 
アラビアに伝えられ、アラビアの国々がコーヒーの栽培と貿易を独占します。
・1554年 
イスタンブール(トルコ)で世界最初のカフェ(コーヒーを出す店)が開かれました
・1645年 
このころパリにコーヒー輸入スタート。
貿易が盛んだったヴェニス(イタリア)でヨーロッパ最初のカフェが生まれる。
・1652年 
ロンドンでカフェオープン。
・1686年 
パリで初めてのカフェが誕生しました。


👉参考文献
https://www.cookdoor.jp/cafe/dictionary/22307_cafe_007/
https://japon.tv5monde.com/Resources/Articles/フランスライフスタイル/三上功/ハリのカフェの歴史?lang=ja-JP



☕本から学ぶパリの詳細なカフェブームの流れ☕

主人公:パリの隣のオーヴェルニュの人々。田舎っぺ!農村地帯酪農の民。貧しい暮らし。

(1)19世紀半ばから後半 水運び屋時代
産業革命の浸透や地場産業の凋落や伝染病が流行から口減らしのため他方に行けと言われる。
・水が整備されてないため、セーヌ川から水を汲み取るパリ人。そこに体力有り余るオーヴォルニュの日々とは目をつけた!こんにちは、水運び屋☆(主なメイン時間は午前)
・そして午後は炭屋に大変身✨

(2)19世紀後半 
オスマンによる大改造により、上水道が整備され、水運び屋廃業。
・空いた時間を酒場勤務に変える。オーヴェルニュ産ワインは大人気!リキュール、レモネードなどメニュー豊富に取り入れる。
・鉄道開通もされてますますオーヴェルニュ人出稼ぎに。

(3)20世紀始め 
・近代化が進んで庶民の暮らしのレベルがあがる。
・コーヒーはもともと異国から伝わった舶来意識と上流階級での流行のイメージ高級感があったが、ワンランクアップの嗜好品として嗜みたいと一般にも広がっていく。

8割以上がオーヴェルニュ人のカフェブーム完成☆


👉参考文献
『パリのカフェの人々』


☕そんな中日本のカフェブームはどのようにきたか☕


まさかのグーグルで『日本のカフェの歴史』でウィキペディアヒット。


(1)江戸時代徳川綱吉の頃
・コーヒー伝来。
・長崎の出島においてオランダ人に振舞われたのが最初であると考えられる。
・感想 大田南畝の『瓊浦又綴』には「焦げ臭くして味ふるに堪えず」
・その後、黒船来航と共に西洋文化流入し長崎、函館、横浜などの開港地を中心として西洋料理店が開店するようになり、そのメニューの一部としてコーヒーが一般庶民の目に触れるようになった。

(2)慶応2年(1866年)喫茶店もどき誕生
・輸入関税が決定され正式にコーヒーが輸入された1877年(明治10年)頃になるとコーヒーを商品として取り扱う地盤が出来上がり、下岡蓮杖が浅草寺境内に開設した「油絵茶屋」[4](1876年)をはじめ
神戸元町の「放香堂」(1874年(明治7年)開店-創業は天保年間・現在も神戸市中央区元町通りに現存)
東京日本橋の「洗愁亭」(1886年明治19年)開店)
などの店でコーヒーが振舞われた。

(3)1888年明治21年)本格的な喫茶店へ。
・勤めていた外務省を辞めた鄭永慶(ていえいけい)が、現在の台東区上野に開店した可否茶館は現代の複合喫茶の様相で、トランプやビリヤードなどの娯楽品、国内外の新聞や書籍、化粧室やシャワー室などが備えられていた。鄭は「コーヒーを飲みながら知識を吸収し、文化交流をする場」として広めようとした。(当時ブラックコーヒー一杯の値段は一銭五厘、蕎麦は八厘)
・経営が振るわなかったことに加え、鄭は投資にも失敗して逃亡。


(4)1911年(明治44年)いろんなカフェ誕生。
・画家の松山省三、平岡権八郎、小山内薫がパリのカフェをイメージして4月に開店した「カフェー・プランタン」会員制カフェ
・水野龍の「カフェー・パウリスタ」庶民&チェーン店 ジョン・レノンオノ・ヨーコが愛した銀座店は、現存する国内最古のコーヒーショップとして知られている。
・築地精養軒の「カフェー・ライオン」初のメイド喫茶など銀座にカフェーと称する店が相次いで誕生する


(5)昭和 カフェ分化が明確に。
「飲食を提供しつつ(女給の)サービスを主体にした店」
「あくまでコーヒーや軽食を主体とした店」への分化が進む。
前者はそのまま「カフェー」または「特殊喫茶」「特殊飲食店」としてバーやキャバレーのような形で次第に風俗的意味合いを持つようになった。


(6)1929年(昭和4年)規則誕生
「<カフェ><バー>等取締要項」1933年(昭和8年
「特殊飲食店取締規則」が出され規制の対象となった。
一方後者は「純喫茶」「喫茶店」と呼称されるようになり、やがて外来する店舗も含んだ「カフェ」として発展していくこととなった。

その後カフェブーム。
※銀座は高級感、神田は容姿端麗、神保町は落ち着いた雰囲気で本を読みながら過ごすスタイル?!


(7)日中戦争が勃発
・戦時体制が敷かれるようになるとコーヒーは贅沢品に指定され、1938年(昭和13年)には輸入制限が始まった。第二次世界大戦がはじまると完全に輸入が禁止され、供給源を断たれた喫茶店は次々と閉店していった。
※こうした事情を契機として、喫茶店から別の業種へ転向した店、「千疋屋」「ウエスト」「コロンバン」「中村屋」などはその転向が成功した代表的な存在である。

(8)戦後の喫茶店復活
・戦後の荒廃した日本で喫茶店が復活を見るのは1947年(昭和22年)頃からで、戦時下の代用コーヒーや米軍の放出品を用いたGIコーヒーなどが提供された。
・一般にコーヒーが再び広まるのは、輸入が再開された1950年(昭和25年)以降となる。こうした輸入豆は、その需要のほとんどが喫茶店であったと見られ、オリハラコーヒーの代表である折原烈男は当時を振返り、「輸入が再開されたコーヒーはその9割以上が喫茶店で消費されていた。そのほとんどは個人経営の喫茶店だった」と語っている。
・個人経営による個人の趣向の強い喫茶店の開業、
シャンソン喫茶
・「ACB」「メグ」「灯」のようなジャズやロックの音楽演奏がサービスの主となったジャズ喫茶、歌声喫茶、ロック喫茶
・ロカビリー喫茶(後年のディスコやクラブなどに多大な影響を与えた)
※LPレコードなど金銭的にも個人レベルでは入手が困難であった時代。
※住宅環境の改善や音楽配信媒体の低価格化が進むにつれ、こうした業態の喫茶店の需要は無くなっていった。
・1970年(昭和45年)頃、名古屋で漫画喫茶が誕生する。
・セルフカフェ文化の先駆けとなったドトールコーヒー
やがて時代の流れが速くなり、「喫茶店でのんびり」といった行為が見られなくなると、細切れに空いた時間を活用したいという客のニーズに合わせた、従来の喫茶店に変わるセルフサービスのカフェが主流となった。
カフェの文化概念を日本で確立し定着させたのは、鳥羽博道が1962年(昭和37年)に設立した「ドトールコーヒー」。
・セルフカフェが定着していた日本に、1996年(平成8年 店長3歳)に進出してきた「スターバックス」は、カフェ ラテに代表される「ミルク系コーヒー」いわゆる「シアトル系コーヒー」をもたらした。


(9)カフェの現在
この様に躍進的な動きはあるものの近年の喫茶店業界全体を見ると後退の一途であり、1981年(昭和56年)には154,630店を数えた喫茶店は2014年(平成26年)には69,977店と約半減している。



👉参考文献https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E5%96%AB%E8%8C%B6%E5%BA%97%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2




☕今後私達のカフェとは☕
カフェの歴史のそれぞれの旅を楽しんでいただけましたでしょうか。

それぞれの時代、文化の特性からカフェが様々なテーマで構成され、変幻自在に形を変えてきました。

令和の今求められるカフェは何か、
むしろまだ発明されてないカフェがあるかもしれません。

私達一人ひとりも今なお変わりつつあるカフェ文化の一つなんですね。