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【美術館】ベルナール・ビュフェ回顧展~私が生きた時代~

ベルナール・ビュフェ回顧展~私が生きた時代~

www.bunkamura.co.jp

静岡県出身なので、一回美術館に見に行ったことがあるのですが、
ベルナールビュフェはどうして人気なのかわからず、
東京のまた雰囲気が違う展示を見れば何かわかるかと思っていってきました。

静岡のベルナールビュフェ美術館行きましたが、初見は

『何この人、怖い』

『線が独特なのと、虚無感を表せたから戦後うけたのかな?』

『きっとビュフェ美術館の館長はビュフェに惚れたんだろう』

『とりあえずミッフィかわいい(^q^)』

bn-tyconist.hatenablog.com

で、幕を閉じたのですが(結構残念だったな)


果たして今回はどう思うのか、Bunkamuraの展示は私にビュフェ愛を生むのか気になり、行ってみました☆


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1、ベルナールビュフェの歴史概略から絵を見る。
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1928年
・美術と昆虫のスケッチに喜びを見出す。
・ナチ占領中は夜間講座でデッサン学ぶ。
・15歳国立美術学校入学試験合格。

1945年
・ルーヴル巨匠に影響を受けて写実的に描くようになる。
・スーチンに影響して、激しい絵を描くようになる。
・母脳腫瘍のため、退学。貧しい生活を余儀なくされる。

1946年 19歳 
・この時期の作品『肘をつく男』ここに掲載されていました↓
https://www.bunka.go.jp/prmagazine/rensai/museum/museum_013.html
・初個展を開き、一点が国家が買い上げる。

1948年 
・この時期の作品『キリスト降下』ここに掲載されていました↓
https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/20_buffet/buffet.html
・若手登竜門『批評家賞』受賞
・作風は厳しい時代からの抑制された地味な色彩と、細く鋭い線による肉付きに、乏しいストイックな描写。

1949年
・肉屋の男
mutotakeki.exblog.jp
存在の不安と不条理の抽出か、と言われる作品。
サルトルカミュの思想と共通し、実存主義の画家として名をはせていく。

☺「個人的には良さはわからないけど、インパクトはあります。」


1950年
作家ジャンジオノとのコラボ。
ameblo.jp

☺「上記の作品は展示られていた作品とは違いましたが、作品、かわいくてよかったです!プロヴァンスでリラックスしたのも影響されていると書いてありましたが、明るさをちょっと感じます。この方、挿絵とかファッションラフ画が素敵なのよね、と個人的趣向を再認識」

1956年
サント・ヴィクトワールに移動。山の麓壮大なスケールを描くように。 
『水浴者や海辺』

☺「↑という絵があったんですが、家族との団らんとかで思いつく海辺がこんな暗く見えてたんならつらいわ!」っていう絵が展示されていました。

1958年ー1970年
1958年 12月

歌手やモデルとして活躍していたアナベルと結婚し、彼女をモデルに多くの作品を発表します。
激動のこの年を境に画風には多彩なモチーフ、鮮やかな色彩、より力強く激しい輪郭線、絵具の厚塗りへの移行といった変化が起こり、1960年代に入ると、「自然誌博物館」、「皮を剥がれた人体」、「闘牛」、「狂女」等のシリーズを内から沸き起こる激情のまま描き出し、力強い描線によって『表現主義』的傾向を強めていきました。

1958年
『えび』
page.auctions.yahoo.co.jp

☺「やばい、これはすごい。今までのどす黒さから一変、スピードが生気に満ちている。結婚したからか?生活の安定と精神面の高揚を感じます」

『ニューヨークブロードウェイ』
www.bunkamura.co.jp

☺「逆にかっこいい、色もいい。この人しかかけないブロードウェイ」

1969年
・アル中治療

☺「1967年の『サクレクール』という作品がユトリロに似ています。同じモンマントルだし、アル中だしか」
www.shibayama-co-ltd.co.jp


1971年ー1979年
レジオンドヌール勲章

1973年
・静岡にベルナールビュフェ美術館開館。

☺「1975年『ベルネイ』1974年『花』とか写実的でまるで別人。普通にうまい、びっくり」

1981年
アル中治療、2回目。

1997年
・パーキンソン発病


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2、展示を見ながら感じた感想や疑問。
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・1940年頃の作品を見て感じたこと。肉付きに乏しいストイックな描写がなぜ評価されるのか理解はできない。文章では戦後の人々の虚無感であったり、実存主義の思想にリンクしやすかったとある。頭で理解はできても、感覚的に理解はできない。まず嫌悪感から出てしまうのが私にとってのビュフェ。
・とても歴史や環境に応じて画風は変わるビュフェ(ユトリロはぐじゃぐじゃ変わるが、ビュフェはそれなりにストーリー性を感じる変化。画風が変えられるから天才なのか。
・『キリストの十字架降下』、この絵は運んでる人の手を書いていないのはなんでなんだろう、そして謎の線もある、あの線はなんだ。もう一人の人は誰だ、むしろ父子はなんだ。
・人は激しく傷んだときに自分が直面した痛みを十分に知らないと次には進めないと私は何かの本を読んで理解しているんだけど、ビュフェの絵はその時代のニーズにやはりあっていたのかな。だとするとその時代の心の痛みを知るのにはきちょうな資料だと思った。美術をから歴史や人が読み解いていけるというのは面白いね。
・ミミズク最高。周りになぜ黒の線があるのかはよくわからん。友達がいないからこそ愛着もててこはこまでかけるのなら考えることあるなと思いました。
・やっぱよくわかんないけど、静岡にたまらなくビュフェを好きだった人がいたってことがわかりました(ビュフェ美術館館長)